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当社は明治3年、福岡県南部筑後地方の有明海に面した現在の柳川市に創業しました。お陰さまで今年で創業140周年を迎えます。現在の商品は米と麦を使った合わせ味噌が主流となっていますが、当初は余米を使って仕込んだ米味噌が主流でした。大正、昭和初期にかけては、まさに陸海軍の軍拡時代であり、その御用達,更に近隣の三井炭鉱や筑豊炭田の全盛期と重なり、量産化を進めました。工場の設備を拡張すると共に、販売網の充実を図るために、九州のみならず、日本軍が進出していた満州の大連にまで支店が設けられるようになりました。
この頃から陸軍や海軍、三井鉱山などの御用達となります。その後、 昭和31年6月に社名を鶴味噌醸造株式会社と改め法人化し、北九州,宮崎,福岡,熊本,大分と九州各地区の販売網を整備し現在に至ります。
柳川は旧柳河藩立花家の城下町です。また、詩人北原白秋の生誕の地でもあります。当社の主力製品「白秋あわせ味噌」もその名前を拝借しています。柳川は街中に掘割が張り巡らされており、その「水の構図」は北原白秋の詩歌の母体となっています。
今では、柳川は観光地となり、その掘割を1時間半かけてドンコ舟で巡る「川下り」が有名です。当社の味噌蔵は明治の後期から大正の初期にかけて建てられた赤レンガの倉庫で、川下りの外堀りコースに面しており,通称「竝倉(なみくら)」と呼ばれ、柳川を代表する景観の一つとして観光客らに親しまれています。北原白秋が「橋ぎわの醤油竝倉西日さし、水路は埋む台湾藻の花」という詩を残しています。当社は最初から味噌専業で醤油は作っておらず、なぜ白秋が「醤油竝倉」と詠んだのかはわかりませんが・・・。
柳川には有形無形を問わず、古くて貴重な文化的遺産が数多く残されています。当社の竝倉も、まだ現役の味噌蔵ですが、平成12年には近代化遺産として国の登録文化財に指定されました。
このように、当社は柳川の町に生まれ、柳川の町に育てられてきました。今では、秋になると、地元の多くの小学校の生徒たちが味噌造り体験学習にやって来ます。青空の下、生徒たちが仕込んだ味噌が、ちょうど年が明けた頃に出来上がります。出来上がった味噌を生徒の数だけ袋に詰めて学校まで届けます。その時の生徒たちが喜ぶ顔を見るのが一番の楽しみです。これからも、伝統の味を大切に、お客様に喜んでいただけるような美味しいお味噌を作り続けて参ります。
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「鶴味噌製造所全景」 1927年

懐かしい並倉の外観

変わらなく美しい並倉の外観

鶴味噌醸造株式会社入り口
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